
今では語られなくなった“裏社会”と“街の均衡”の記憶
現在のすすきのは、ネオンに照らされる観光地であり、歓楽街として国内外からの訪問者を迎える“明るい夜の街”だ。
しかし30年前、1980〜90年代のすすきのには、**夜を支配するもう一つの顔=“ヤクザの街”**という側面があった。
当時は、テナントビルの1階ごとに異なる団体の看板が掲げられ、一見客では入れない“会員制”の飲食店が通りを固めていた。
組同士の勢力バランスが崩れると、すぐに街の空気がピリつき、事件が表面化することもあったという。
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🔹 代表的な事件のひとつ(※旧資料より)
1992年某月深夜、南5条西4丁目の雑居ビルで暴力団幹部による発砲事件が発生。
駆けつけた警察によって関係者3名が拘束されたが、
その後の取り調べでは「街の秩序の“話し合い”だった」とされ、大半が不起訴となった。
だがこの一件をきっかけに、多くのクラブ・スナックが店舗ごと姿を消し、
ススキノの“裏”が静かに再編されていったと言われている。
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📌 記憶の中の夜:ある元スタッフの証言
「ヤクザが怖かった?いや、街が守られてるって空気は正直あった。
本当に怖かったのは、バランスが崩れた時だよ。」
街はいつも、表と裏でできている。
そして裏が崩れた時、表も一緒に揺らぐ。
いまの明るいすすきのがあるのは、
あの“緊張感ある夜”が終わったからこそ、なのかもしれない。
でもきっと——どこかに、まだ静かに息づいている。