
札幌市内中心部から車で20分ばかりの所に一つの碑が立っている。
「藻岩犠牲者の碑」
これは今から約70年前の出来事である。
札幌市民に電気や水を供給するため藻岩発電所と
藻岩浄水場の工事は1934年に着工し、1936年に発電所、
翌1937年に浄水場が完成した。市民にとって必要な電気と水。
しかしこの工事の影ではタコ部屋、信用部屋などの労働者
(日本人・朝鮮人)約4000人が従事し内、工事の犠牲者は
日本人・朝鮮人合わせて34人。虐殺・死因不明は17人出ている。
しかしこの数字も寺の過去帳での数字で実際はもっと多くの
犠牲者が出ているといわれる。
一体どんな凄惨な現場だったのか、目撃者の証言を再現する。
「昭和10年の3月頃、タコ部屋の労働者5人が現場へ行く途中
つながれていた細引きを切って逃走し、捕まった。棒頭は2人を裸にし
後ろ手に縛り、残りの3人に引きずらせて現場へ行かせた。
道は凍り硬く、肉ははがれて泣いていた。5人ともその後
見かけることはなかった。」
「同じ年の5月には便槽に隠れていたタコが逃走し、
間違って現場に逃げ込み捕まった。棒頭はタコをモッコの棒で殴り、
陸掘りの穴に埋めた」
タコ部屋とは北海道や樺太の土木工事の現場や炭鉱などで
労働者を監禁状態にし、暴力によって強制労働させた飯場である。
札幌市民のための電気や水の供給がこのような現場の中で
作られたことをどう思うだろう。
北海道の歴史はまだまだ新しい。
自然と闘いながら北海道の明日を切り開いた先人達、
そして明日を切り開くために犠牲になった人達。
我々は今一度「開拓」の重みを反芻(はんすう)するべきなのである。