
事件概要と発覚までの経緯
2023年7月上旬、札幌市中央区の歓楽街・すすきのにあるホテル客室で、男性の首が切断された遺体が発見されるという猟奇的事件が起きました 。7月2日午後、チェックアウト時間を過ぎても客が退室しないことから従業員が様子を確認したところ、浴室でうずくまった状態の男性遺体を発見しました。遺体は首が刃物で切断され、頭部が行方不明という異常事態で、警察は即座に殺人事件として捜査本部を設置しました 。約240人体制で防犯カメラ映像や関係者への聞き込みが行われ 、7月24日になって札幌市厚別区に住む親子3人が死体損壊・死体遺棄容疑で逮捕されました 。逮捕されたのは、田村瑠奈容疑者(事件当時29歳)と、その父親で医師の修容疑者(当時59歳)、母親の浩子容疑者(当時60歳)でした。その後、捜査の進展に伴い瑠奈容疑者は殺人容疑でも再逮捕され、親子3人全員が殺人・死体損壊等で起訴されるに至りました 。
事件当夜の状況も徐々に明らかになりました。7月1日深夜、田村瑠奈被告(以下、年齢はいずれも当時)は被害男性Aさん(62歳)とホテルにチェックインしました 。室内で瑠奈被告は男性に目隠しをさせ、「私との約束を破ったでしょう?」などと問い詰めた後、持っていた刃物で男性の首を後ろから突き刺しました 。わずか2秒間に9回も首を刺されて男性は倒れ、「ごめんなさい…」と命乞いする間もなく殺害されたといいます 。瑠奈被告はその場でインスタントカメラによる自撮りをするなど異常な行動を示した後 、男性の首を切断してスーツケースに入れ、頭部を持ち去りました 。翌未明、瑠奈被告はフロントに「先に出る」と連絡し、一人でスーツケースを引いてホテルを後にしています 。
残された被害男性の首なし遺体は、当日午後にホテル従業員が発見し通報、事件が表面化しました 。被害男性の身元確認には指紋照合が用いられ、警察が遺族に「顔で確認できます」と説明した際、「実は頭がないんです」と告げられた奥様は現実を受け入れられず、「なぜ夫が殺されなければいけなかったのか」と悲痛な思いを述べています 。北海道警の捜査により、犯行現場のホテルの防犯カメラには瑠奈被告がスーツケースを持って出て行く姿が映っており、遺体の頭部は瑠奈被告の実家(札幌市厚別区の戸建て住宅)の浴室に隠されているのが発見されました 。こうした証拠から、警察は瑠奈被告を実行犯、その両親を犯行を手助けした共犯と見做し、逮捕に踏み切りました。
田村瑠奈被告(娘)- 起訴内容と裁判状況
起訴内容: 田村瑠奈被告(逮捕時29歳、起訴時30歳)は、被害男性に対する殺人罪および遺体の首を切断して持ち去った死体損壊罪・死体遺棄(死体領得)罪などに問われました 。犯行の動機について詳らかにされつつありますが、裁判での証拠調べにより、瑠奈被告と被害男性との間に過去に性的トラブルがあったことが判明しています 。被害男性が瑠奈被告との「約束を破った」ことに強い恨みを抱いた瑠奈被告は、男性に目隠しをさせ油断させた上で襲撃し殺害に至ったと見られています 。犯行後には自らインスタントカメラで記念撮影まで行っており、その異常性が窺えます 。また、遺体から切断した頭部を自宅に持ち帰ったのは、証拠隠滅だけでなく両親に何らかの形で「戦利品」を見せる目的があった可能性も指摘されています。
裁判の経過: 瑠奈被告は逮捕当初から精神的に極めて不安定な言動が見られ、逮捕後すぐに長期の鑑定留置(精神鑑定のための施設収容)が行われました 。約半年に及ぶ鑑定留置を経ても結論が出なかったため、現在までに2度目の精神鑑定が行われており、公判開始のめどは立っていない状況です 。多重人格(解離性同一性障害)の疑いも取り沙汰されており、実際に瑠奈被告は犯行計画中に自身を「シンシア」と呼ぶ別人格が現れたかのような振る舞いをしていたことが父親の証言等から明らかになっています 。瑠奈被告本人の公判前整理手続きや精神鑑定の結果次第では、責任能力の有無を巡って争われる可能性があります。2025年6月時点で瑠奈被告の初公判開廷日は決まっておらず、長期化する見通しです 。
田村修被告(父)- 裁判員裁判と判決
起訴内容: 父親の田村修被告(事件当時60歳、職業:精神科医)は、娘の瑠奈被告による殺人と死体損壊・遺棄を手助けしたとして、殺人ほう助罪、死体損壊ほう助罪、死体遺棄ほう助罪、および死体領得ほう助罪(遺体の頭部を自宅に保管することを容認した行為)に問われました 。具体的には、犯行に使われたノコギリやスーツケースを購入し提供したこと、遺体の頭部が持ち帰られた際に警察へ通報せず隠匿を黙認したこと、さらには自宅浴室で娘が遺体の頭部を損壊する様子をビデオ撮影したことなどが「手助け」にあたるとされました 。修被告は一貫して「娘の犯行計画は知らなかったし、結果的に手伝う意図もなかった」と無罪を主張しており、初公判でも起訴内容を全面的に否認しました 。
裁判の経過: 修被告に対する裁判員裁判は2025年1月に札幌地裁で開始され、11回の公判が開かれました 。検察側は「修被告が犯行を事前に知っていなければ、この計画は実現不可能だった」「娘から遺体を持ち込まれてどこから持ってきたか確認もしなかったのは、計画を予め知っていた証拠だ」と指摘し、懲役10年の求刑を行いました 。また「犯行発覚後も”知らなかった”とシラを切り続け、反省が見られない」と厳しく非難しました 。一方、弁護側は「修被告には娘を殺害させる動機がなく、ホームセンターでノコギリ等を買った程度で『殺人・死体損壊の計画』を推認するのは無理がある」と反論し、無罪を求めました 。
公判では数々の証拠が示され、犯行当日の状況も明らかになりました。特に注目されたのは自宅浴室でのビデオ撮影です。修被告は逮捕後の取調べで、娘から頼まれて浴室で頭部の損壊状況を録画したと供述しました。このビデオ映像の存在により、修被告が少なくとも犯行後には娘の異常な行為を認識しつつ追認していたことが浮き彫りとなりました。裁判では、修被告のパソコンやスマートフォンの検索履歴も取り上げられています。事件前、「ハイターで指紋は消せるか」といったワードを一度検索していたことや、大容量スーツケースの耐荷重を調べて購入していたことが明らかになり、検察は「犯行準備に関与した証拠」と主張しました 。
判決と裁判所の判断理由: 2025年3月12日、札幌地裁は修被告に対し懲役1年4か月、執行猶予4年(求刑懲役10年)の判決を言い渡しました 。裁判長はまず、争点となった殺人ほう助罪について無罪と判断しました。その理由として「瑠奈被告の殺人は計画的とは認められるが、父親に計画を話したと認めるには至らない」とし、娘から事前に殺人計画を知らされていた確実な証拠はないと示しました 。またスーツケース購入や指紋消去に関する検索についても、「50kgの耐荷重という条件は成人男性の体重より軽く、死体運搬の目的までは知らなかったと推認できる」「指紋に関する検索も一度きりで、すぐ料理用語の検索に切り替わっており、娘から血痕除去方法を教えられた証拠とは言えない」とし、犯行前の計画関与を示す直接証拠に欠けると判断しました 。以上から、殺人ほう助および死体領得ほう助(遺体を持ち帰る計画への関与)については「犯行計画の認識があったとは言えない」として不成立となりました 。
一方で、死体損壊ほう助罪・死体遺棄ほう助罪について有罪が認定されました。判決では「修被告は自宅浴室に被害男性の頭部があると認識しつつビデオ撮影を行った。これは娘の死体損壊行為を容易にする積極的な加担であり、死体損壊ほう助に当たる」と指摘されました 。また「娘から頭部を持ち帰られた時点で既に死体遺棄は完了している」とする弁護側主張に対しては、「死体遺棄は頭部を持ち帰った後も継続的に進行中の行為であり、修被告がそれを止めず容認したことは遺棄ほう助に当たる」と判断されました(※この論理は後述の母親の裁判でも適用されています) 。裁判所は総じて「父親は殺害自体には関与していないが、その後の死体損壊・隠匿について知りながら手を貸した」という結論を示した形です。その結果、刑事責任は問うものの、計画段階からの関与ではない点が考慮され執行猶予付きの判決となりました 。
判決後、札幌地検の次席検事は「検察官の主張が受け入れられなかったことは残念。判決内容を精査し上級庁と協議の上、適切に対応したい」とコメントしており 、殺人ほう助について無罪となった点を不服として控訴する可能性を示唆しました。一方、修被告側はなお無罪を主張しており、被告人側からの控訴も含め今後争点が高等裁判所に持ち越される見通しです(※2025年6月現在、検察・弁護双方とも控訴したとの続報は出ていません)。
田村浩子被告(母)- 裁判員裁判と判決
起訴内容: 母親の田村浩子被告(事件当時61歳)は、娘による犯行を後援したとして死体遺棄ほう助罪および死体損壊ほう助罪に問われました 。具体的には、瑠奈被告が被害者の頭部を自宅に持ち帰った後、それを家に保管することを許容し警察に通報しなかった行為が「遺体遺棄(隠匿)のほう助」に当たるとされました 。さらに、娘からの依頼を受けて「頭部の損壊状況を撮影するよう父親(修被告)に取り次いだ(=撮影を促した)」行為が、死体損壊を手助けしたものとみなされています 。浩子被告は初公判で「娘の行為を手助けする意図はなかった」として起訴内容を全面否認し、以後も無罪主張を貫きました 。
裁判の経過: 浩子被告に対する裁判員裁判は2024年秋から2025年春にかけて開かれ、計9回の公判が行われました 。公判では争点が「母親の行為が果たして娘の犯行の積極的ほう助(手助け)に該当するか」に絞られました 。検察側は最終論告で「浩子被告は娘が日常生活を送りつつ死体損壊・遺棄行為を継続するのを心理的・物理的に支えた」と指摘し、懲役1年6か月を求刑しました 。例えば娘が頭部を保管していると知りながら同居を続けた点、ビデオ撮影に抵抗せず協力した点などを挙げ「これらは結果的に娘の犯行継続を支援する働きがあった」と論じています 。これに対し弁護側は、「頭部が自宅に持ち込まれた時点で死体遺棄行為自体は完了しており、その後家に置いていたことを『隠匿の容認』と評価するのはできない」として遺棄ほう助の成立を否定しました 。また「母親は娘に逆らえる立場ではなく消極的に従っただけで手助けとは言えない」と情状を訴え、無罪を求めました。
公判では、浩子被告自身の証言に加え、夫である修被告や浩子被告の実兄(瑠奈被告の伯父)も証人として出廷し、家庭内の様子が証言されました 。浩子被告は「娘から頭部を見せられたときパニックになった」「警察に知らせるべきだと思ったが娘の心情を思うとできなかった」といった主旨の供述をしつつ、自らの刑事責任は否認しました。また検察側証拠として、浩子被告が事件直後に夫へ送ったLINEメッセージの解析結果も示されています。そこには「車のGPSは残りますか?」といった文面があり 、犯行発覚を恐れて証拠隠滅を図ろうとした疑いが浮かび上がりました(なお浩子被告のスマホからはこのメッセージが削除されていたことも判明 )。このように、母親も事件後に一定の隠蔽工作を試みた可能性が示され、裁判員にも強い印象を与えました。
判決と裁判所の判断理由: 2025年5月7日、札幌地裁は浩子被告に対し懲役1年2か月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡しました 。裁判長は判決理由でまず「死体遺棄ほう助」について言及し、「死体遺棄は頭部を持ち帰った時点で終了ではなく継続的に成立する」との判断を示しました 。その上で、「浩子被告は娘・瑠奈の心情(犯行を隠し通したいという思い)を理解し、頭部を自宅に保管することを容認していたと評価できる」と指摘し、遺棄ほう助の成立を認定しました 。さらに「死体損壊ほう助」についても、「娘から頭部損壊のビデオ撮影を頼まれた際、浩子被告は消極的な態度すら示さず撮影を夫に依頼した。この時点で瑠奈の犯意を認識し、その実行を容易にしたといえる」として有罪認定しました 。要するに、**「親であり犯行を止められる唯一の存在だったが、止めるどころか沈黙をもって容認し結果的に手助けした」**との裁判所判断が示された形です 。
以上より、浩子被告には求刑よりやや軽い執行猶予付き刑が科されました(求刑1年6か月に対し判決1年2か月、執行猶予3年) 。判決言い渡し時、浩子被告は涙を流すこともなく落ち着いた様子で静かに聞き入っていたと報じられています 。判決後、弁護側は即日控訴し「判決を不服として7日付で控訴した」と明らかにしました 。今後、高等裁判所で母親の刑事責任の有無や範囲について改めて審理される見通しです。
家庭背景と裁判で浮かんだ異様な親子関係
この事件が世間を震撼させた要因の一つには、「親子3人」という特殊な加害者関係と、その家庭の閉鎖的で異様な実態がありました。田村瑠奈被告は北海道札幌市の比較的一般的な家庭に一人娘として育ちましたが、中学入学後に不登校となり、それ以来ほとんど学校に通わずに過ごしたといいます 。同級生との目立ったトラブルはなく、家庭内で両親に守られる形で成長した瑠奈被告は、成人後も無職で実家暮らしを続けていました。近隣住民の証言によれば、「ご夫婦(修被告と浩子被告)は穏やかな方々に見えたが、娘さんの姿は一度も見かけたことがなかった」ともいい 、瑠奈被告が社会との接点を欠いた閉じこもりがちな生活を送っていた様子が伺えます。
家族内では、常に娘の瑠奈被告を最優先にする「瑠奈ファースト」とも評される関係性があったといいます 。両親は娘を溺愛し外界から守る一方で、娘が抱える精神的不安定さには十分に対処できていませんでした。父親の修被告は専門が精神科医でありながら、自身の娘を長年診察していく中で「このレベル(娘の症状)は自分のクリニックでは対応できない」と感じ、他の医療機関で診てもらおうと考えていたことが証言から明らかになりました 。実際に事件発生前年の2022年頃から、瑠奈被告の妄想や他者に対する攻撃的言動が激しくなっていたようです。
裁判で提出された録音データには、娘が両親に向かって罵声を浴びせる生々しい音声が含まれていました 。例えば2020年10月の録音では瑠奈被告が英語で父親に「I want to kill you.(お前を殺してやりたい)」などと怒鳴っており 、2023年1月の録音では日本語で「テメェらを殺してやる。ずっとそう思って生きてきたんだよ、私の妹と私は!」と吐き捨てています 。この発言中の「妹」という言葉について、修被告は「娘本人のことを指す愛称(別人格)ではないか」と証言し、娘が自分を「シンシア」という架空の妹あるいは別人格になりきって会話していた可能性が示唆されました 。さらに瑠奈被告は同じ録音で英語交じりに「I kill everyone! That’s all!(私はみんなを殺す!それだけだ!)」と叫び、父親が「私は誰も殺しません」と宥める場面もありました 。父親は娘に対し新たな薬の処方や専門医紹介を提案しますが、娘は唸り声を上げて拒絶し続けていた様子で 、こうした壮絶な親子の会話には裁判傍聴人からもどよめきが漏れました。実兄(瑠奈被告の伯父)も「幼い頃の瑠奈と両親の様子には驚かされるものがあった」と証言しており 、傍目にも異常な家庭状況だったことが伺えます。
犯行当日の家族の様子も証言で明らかになりました。瑠奈被告が事件当日の朝、自宅に黒い袋に入れた頭部を持ち帰った際、まず母・浩子被告に「これ、見る?」と持ちかけ、浩子被告は驚愕しつつも「やめなさい」と強く制止できなかったといいます。一方、父・修被告には娘から「首、拾ってきた」と告げられたとのことで 、修被告は娘が何を言っているのか初め理解できなかったものの、現物を見て事態を察したと法廷で淡々と証言しました 。正常な家庭なら即座に110番通報するところでしょうが、田村夫婦は話し合った末に通報せず「娘と一緒にいること」を選択します 。修被告は法廷で「警察に早く来てほしいとは思っていた。しかし親である自分たちが娘を突き出すようなことをすれば、娘にとって絶望につながると思った。ご遺族には申し訳ないが、親として通報はできなかった」と述べています 。この発言からもうかがえるように、両親にとっては被害者の命よりも娘の将来の方が重かったという歪んだ優先順位が露わになりました。
裁判中、浩子被告は被害者遺族に対し「娘が取り返しのつかないことをした。本当に申し訳ない」と頭を下げました。しかし一連の証言から浮かぶのは、「娘を止められなかった無念」よりも「娘を守れなかった後悔」が勝る両親の姿でした。裁判所も判決で「親である被告人らは犯行を阻止できる唯一の立場にありながら、それをしなかった」と厳しく指摘しています 。この家庭背景と事件との関係性は、国内にも大きな波紋を広げました。
社会への影響と反響
華やかなネオンと観光客で賑わうすすきのの中心地で起きた残虐事件は、地域社会と日本全体に衝撃を与えました 。日頃から人通りの多い繁華街で首切断殺人という前代未聞の犯行が行われたことに、地元住民からは「すすきのももう安全ではないのか」という不安の声が上がりました。札幌市や北海道警は事件後、繁華街の防犯体制を見直し、ホテルや飲食店への防犯カメラ設置支援や巡回強化など治安維持に努める姿勢を示しました。ただし犯人グループは被害者と面識のあった者であり、通り魔的な無差別事件ではなかったこともあり、過度の萎縮ムードは広がっていません。
報道の反響は全国的なものとなり、連日テレビや新聞でトップニュースとして扱われました。事件の特異性からワイドショーなどでも詳報が続き、インターネット上でも「札幌の首切断事件」として大きな話題となりました。中でも逮捕されたのが若い女性とその両親であったこと、犯行手口が猟奇的であったことから、国内外のメディアも興味本位に報じる向きが見られました。しかし裁判が進むにつれ、そこに至る異常な家庭環境や精神医療の課題など社会的論点も浮上し、単なるスキャンダラスな事件を超えて様々な議論を喚起しています。専門家からは「家庭内で孤立した精神疾患患者をどう支援するか」「親子の共依存がエスカレートした悲劇ではないか」といった分析が寄せられ、行政によるひきこもり支援策や精神保健福祉の充実を求める声も上がりました。
観光業への影響も一時懸念されましたが、幸い大きな風評被害には至りませんでした。事件後しばらくは現場となったホテル周辺で物々しい雰囲気が漂いましたが、札幌の観光全体に目立ったキャンセルや客足減少は報告されていません。むしろ2023年夏以降、新型コロナウイルス禍からの観光需要回復もあり、すすきの地区は国内外からの旅行客で活況を呈していました。皮肉にも犯行現場のホテルは事件後も利用者が絶えず、「いつも満室」状態が続いているとも報じられています 。一方で、犯人家族が暮らしていた厚別区の住宅には興味本位の若者が夜中に集まり、心霊スポットさながらの「肝試しの場」として扱われてしまう状況も発生しました 。近隣住民によれば「酔った若者が大勢で押しかけ、家の前で騒いで写真を撮ることが続いた」「玄関のドアノブを壊して中に入ろうとする者まで現れ、警察官が修理に来たこともある」といい、現在も警察が定期的にパトロールを行っているとのことです 。このような現象は事件が人々の好奇心を刺激する一方で、地域住民には新たな迷惑や二次被害を及ぼしていることを示しています。
本事件の裁判過程を通じて示されたのは、家族という最も基本的な共同体が内側から壊れていった末の悲劇でした。同時に、その兆候を社会が把握・介入できなかった現実も浮かび上がっています。判決を下した渡辺史朗裁判長は、浩子被告への言葉として「瑠奈さんのために今後、母として正しい接し方をしてあげてください」と諭しました (※NHK報道より)。娘を思うあまり道を踏み外した両親に対し、司法は更生への課題を投げかけたと言えるでしょう。
事件後、すすきのの街は表面上の賑わいをすぐに取り戻しましたが、人々の心には「ネオン街の闇」として深い爪痕を残しました。被害者家族の無念は言うまでもなく、札幌市民にとっても「あの平和な北海道でこんな猟奇事件が起きるなんて」という衝撃は大きく、安全神話への一種の警鐘となりました。今後の公判で瑠奈被告の精神鑑定結果や動機の真相がさらに解明されれば、再発防止策の検討も進むことでしょう。本事件は家族のあり方や地域社会での孤立の問題、さらにはメディア報道の在り方まで、多方面に問いを投げかけた重大事件として記憶されるに違いありません。