「すすきの交差点 今昔物語」:街の誕生から現在まで🌃✨

ススキノの象徴とも言えるすすきの交差点には、いつも多くの人々が行き交うネオンの輝きが溢れていますが、その背景には明治時代からの深いストーリーが紡がれています。


 

明治時代の始まり:職人たちを誘致するための遊廓設置

 

1871年、札幌開拓を進めた開拓使は、働き手である職人を定着させる目的で、南4条〜5条・西3〜4丁目エリアに**「薄野遊廓」**を開設。これがすすきの原点となりました 。

翌1872年には、遊廓の周囲に900mもの土塀と門が設けられ、街としての体裁が整えられていきます 。


 

大正期・昭和の再起と歓楽街化

 

大正時代には、遊廓が菊水地区へ移転。すすきの交差点は一時閑散としますが、その後、映画館や飲食店が増え、歓楽街として再び賑わいが復活していきます 。

戦後の復興期には、キャバレーやダンスホールが加わり、1958年の売春防止法施行により違法営業の排除が進みましたが、街の夜の文化は形を変えて息づいていたと言えるでしょう 。


 

1960年代以降:都市化がすすきのに新たな顔を

 

1970年代の札幌オリンピックに向けた都市整備が進められる中、地下鉄南北線や地下街、さらには札幌松坂屋の開店がすすきのに“健全な買い物エリア”の顔を加えます 。

その一方、交差点の顔として今も目を引くニッカウヰスキーの巨大ネオン看板も誕生し、すすきの交差点は夜の街の象徴となりました 。


 

今のすすきのの顔:歓楽と都市が交わる場所へ

 

現在、すすきの交差点は北日本でも最大級の歓楽街として、多くの飲食店やホテルが立ち並び、夜を彩るネオンの光に満ちあふれています 。

この特集では、過去の映像と現在の映像を巧みに交差させ、**「遊廓→映画館→カフェ・バー→ネオンの街」**といった、街の進化を視覚的に辿ります。どんな夜景の裏にも多様な人生が刻まれてきたことに、改めて気づかされる構成になっています。

ネオンだけじゃない、すすきの交差点には時間が刻まれている。人々の記憶と映像が交わって、夜の街が語りかけてくるような感覚を、この特集ではぜひ味わってほしいです。昔の姿と今の姿が重なるその瞬間、誰もが“すすきの博士”になれますよ